月刊 Fruits Life No.54 |
月刊フルーツライフ No.54(通算82号)
◆福島を原発事故の生贄にさせない!
私には福島県出身の若い友人がいる。毎年秋になると彼の家には、福島の実家からお米や果物が送ってくる。去年の秋もお裾分けにと、林檎を一箱持ってきてくれた。その時、彼の口から最初に出た言葉は
「福島産ですが召し上がってください。
叔父さんが土壌から作り直して放射能の心配はないと言っています…安全証明も付いています」
そう言うと申し訳なさそうに放射能不検出という証明書を見せてくれた。
不思議な光景だ。本来私が礼を言うべきところなのに、彼が悪いことをしたように謝っている。
3.11後の福島は凡ゆることが禁忌となっている。それは勿論原発事故によるものであるが、反原発、原発推進の如何にかかわらずまさに福島は禁忌だ。
これほど不条理なことがあるだろうか?福島は、そこに住む人々も、学校も、企業も、すべての人、すべての団体が原発事故の被害者だ。それにもかかわらず被害者である人々がまるで悪いことをしたかのように申し訳なさそうにしている。
◆福島の農産物はどれだけ危険なのか?或いは本当に安全なのか?
風評被害という言葉を頻繁に耳にする。結局この「風評被害」という言葉が事実であるか否かは、福島県産の農作物が実際に放射能に汚染されているか否かということだ。
①風評被害の扇動者
風評被害を引き起こした最大の扇動者は、調査も対策も責任も、すべての体制作りをしてこなかった国ではないだろうか。
例えば原発事故後、何ら情報を把握することなく取り敢えず安全宣言を出した後で次々と明るみになった基準値超えの農産物だ。
2011年10月、福島県は早々と福島県産米に安全宣言を出した。するとその後すぐに当時の暫定基準値500bq/kgを超える米の検出が相次いだ。さらに稲藁、牛肉、牛乳からも暫定基準値を大幅に超える福島県産の農作
物が相次いだ。これでは消費者が福島県産農産物を安全だと思わないのは当然だろう。
また暫定基準値という言葉が出てくることからも、そもそも放射能に対する農産物の基
準値すら事故前にはなかったわけで、それはいかに国が、原子力村の「安全神話」に取り込まれていたかという証でもあるだろう。
bq/kg | 日本 | ウクライナ |
主食 | 500 | 20 |
野菜 | 500 | 40 |
飲料水 | 200 | 2 |
さらにその暫定基準値たるや放射性セシウム137の場合、添表の値だったから誰も福島県産農作物を安全だとは思わなくなってし
まった。つまり風評を撒いたのは国なのだ。
②汚染されたのは福島だけだったのか?
ここに原発事故直後の放射線量汚染マップがある。福島第一原子力発電所を中心に北は釜石から南は千葉、群馬まで奥羽山脈の東側は広範に放射能に汚染されたことが分かる。
また福島県内においても会津地方の汚染は少なく、浜通り・中通り地方が汚染されている。つまり同じ福島県といっても汚染レベルは変わってくる。極端に言えば、田畑一枚ごとに汚染が違っているのである。それにもかかわらず農水省は、無作為なサンプリング検査でしか汚染を測定しておらず、そのためサンプリング検査から漏れた農産物が市場に流通し不安を一層大きくすることになった。
原発事故後福島県では、農地に含まれるセシウムが5000bq/kg以下であれば自由に作付けが可能であり収穫された作物は基本的に出荷可能だった。この数値自体が驚きだが、更にサンプリング検査で基準値を超えた場合、その町村の出荷が制限されるだけだった。
1自由に作付け可能
2収穫時測定し出荷の可否決定
3測定は町村一検体のサンプル検査
常識的に考えて、このような検査レベルでは福島県産農作物を忌避することは消費者にとっては自己防衛である。また「食べて応援」などという情緒的キャンペーンは、科学的根拠を提示していない分返って福島県産農作物への不安を煽る結果となった。
③安全と言うほど原子力村に寄与する
こうして福島県産農作物の安全性を全面的に宣伝し、それを福島の復興に結びつければつけるほど実際に福島の置かれた現実と乖離していくことになる。
客観的科学的データを明らかにしない以上、その安全性とは「原子力災害はそれほど酷くはなく危険なレベルではない」と言うに等しかった。しかし実際には20万人もの人々が避難し、現在に至っても10万人近い人々が避難しており、そうしたなかで被害を過小評価することは、結果的に加害側の利益に資することになった。
さらにセシウムより半減期がはるかに長いプルトニウムやストロンチウムに関する汚染状況が公開されておらず、体系立てた検査やモニタリング体制も確立されていない。
こうして客観的な科学的データに基づかない安全宣言は、一層福島を孤立させることになった。
◆福島の血の滲むような努力
福島の農家にとってこのような状況では離農しか道がないように思われた。しかし福島の人々は農業への希望を失わなかった。
①土壌汚染を知る
福島ではまず農地全筆の汚染マップの作成を進めてきた。それは県全部で99,000筆という気の遠くなる数だった。
福島県の水田は一枚一枚が小さく、一反に満たない田んぼがたくさんある。しかしそのすべての田んぼの「水口-真ん中-水尻」の3ヶ所を測定し、全筆を終えるのに2年半かかった。そしてこの事業には国の復興予算は一切入っておらず、すべて地域の農協と生協のボランティアでやり遂げた。
この汚染マップができたことで汚染度の高い地域が果たしてどこにあるのかが正確に分かるようになった。
②吸収抑制対策
福島ではすべての農地にカリウムを撒いて吸収抑制対策を行ってきた。カリウムは土壌のセシウムを吸収する性質があるためだ。
一昨年あたりから実際に吸収抑制対策をしなくてもよい水田が大半になっていたが、念には念を入れてすべての農地にカリウムを撒いている。
実は福島とチェルノブイリでは土壌が大きく違っている。チェルノブイリ一帯の土壌は非雲母由来の土でセシウムを離しやすい性質を持っており、他方福島の土は雲母由来の土でセシウムが一度吸着すると粘土が閉じてしまいセシウム自体を取り出すことは難しくなる性質を持っている。
原発事故の起こった一年目は溶存態のセシウムが多く、そのため水に溶けたセシウムが作物に移行することが多かった。しかし二年目からは新しい水を入れているためセシウムは粘土の中に吸着しており根から吸うことは全くなかった。ただ二年目以降も一部の作物にセシウムが検出されたのは水田に引いた農業用水にセシウムが含まれていたためだ。福島ではこうした入口対策に加えて出口対策も行っている。
③全量全袋検査
福島では県内全ての米の全量全袋検査を行っている。汚染のない会津地方も含めての全量全袋検査だ。つまりこの出口対策は汚染された農作物を市場に出さない決意の現れだ。
原発事故後、福島では計り知れない労力とお金をかけて放射能と向き合い闘いつづけてきた。しかしそうした血の滲むような努力は報道されることなく圧殺され、福島だけが放射能に汚染された農作物を作っているかのように言われつづけてきた。
◆私たちは福島を生贄にしてよいのか?
事実として関東から東北南部までの一帯は原発30km圏内とほぼ変わらないほど放射能に汚染されている。つまり現状のままでは農業はできなくなっているのだ。しかし福島よりはるかに人口の多いこれらの地域を政府は汚染地域と認めることができないのだ。
その代わりとなったのが福島だった。国民の目を放射能汚染は福島だけに隠蔽し、他の地域に伝播しかねない汚染マップ作成や、土壌の吸収抑制対策や、全量全袋検査を報道することなく圧殺した。科学的根拠を明らかにすることなく「食べて応援」のような情緒的な問題にすり替え、福島を日本中の憐れみの対象とすることで国民の目を逸らしてきた。
福島の人々は、この6年間自分たちの力だけで農業を復興させようとしてきた。その血の滲むような努力を支えてきたものは福島の人々の農業への愛情だった。福島の人々は決して日本中から憐憫の情を集めるような人々ではない。
福島の農業を破壊し復興を妨害したもの、それは東電による原発事故であり、次に全ての汚染を福島に限ったように隠蔽してきた政府そのものではないのだろうか。
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