月刊フルーツライフ No.120(通算148号) |
昨年スタートした病院・老健向け事業は、これまで社内で新事業と呼ばれてきました。
九月よりプロジェクト名を新たに「フルーツと私」としてスタートすることになりました。
毎日食べるフルーツだからこそ、商品と私を一人称で並べることで、日々の暮らしの中にフルーツの存在を大きく表現しました。
私たちにとってフルーツ とは何でしょう…今月はフルーツと私をテーマに特集しました。
アントニオ・ロペスの
マルメロの陽光
十年ほど前、岩手県立美術館でアン トニオ・ロペス展を見ることができました。
アントニオ・ ロペスはスペインを代表する写実派の画家です。
「ミツバチのささやき」で世界的評価を得た監督ヴィクトリ・エリセが、A・ロペスの日常を映画にしました。
それが「マルメロの陽光」です。
マルメロはかりんとも呼ばれる柑橘類で,、ジャムや果実酒としてヨーロッパでは馴染みの深い果物です。
映画はロペスが秋の陽光の中で黄金色に輝くマルメロを描き続ける姿を淡々と映していきます。しかし画家は思うように描ききれません。やがて季節は秋から冬に移り、マルメロの果実は朽ち、やがて木から落ちていきます。
秀逸なドキュメンタリー
人生フルーツ
建築家津端修一さんと妻英子さんの 日常を描いたドキュメンタリーが「人生フルーツ」です。
名古屋市近郊に、津端修一さんがかつてコンペに参加した高蔵寺ニュータウンがあります。夫婦はそこに三百坪の土地を購入し、果物や野菜を育てながら暮らしています。
戦後日本の成長を支えた第一線の建築家が妻と二人で、穏やかに暮らすシンプルな生き方が日本中に共感を呼びました。
ヘルマン・ヘッセの
庭仕事の楽しみ
ヘルマン・ヘッセはノーベル文学賞を受賞したドイツ文学の巨匠です。
「車輪の下」「デミアン」を始め多くの作品を残すとともに、庭仕事の傍ら植物を美しい水彩で描きました。
ヘッセは、ナチス戦時下の精神的危機を庭仕事をすることで乗り越えました。果物を育て、収穫し、食卓に乗せ、自然の恵みに感謝する日常を送ることで精神の安らぎを保ちました。
ヘッセは「人は成熟するに連れて若くなる」の中でこう語っています。
「私の人生の後半は、劇的で、闘争に満ち、敵が多く、苦難に満ち、最後はあまりにも多くの成功に満ちていました。この落ち着かない人生を切り抜けるための力は、もっと静かだった平和から生まれたのです」
そしてヘッセは静かに庭仕事に勤しんだ日常をこう語っています。
「人生は歳をとるほどに楽しくなる」
ボローニャの駅にあった
モランディの静物画
五年ほど前、イタリアを訪れた時ボローニャ駅の待合室にジョルジョ・モランディの静物画を見つけました。
モランディは生涯をボローニャで暮らし、同じモチーフの静物画を描きつづけました。
テーブルに置かれた瓶や水差しや果物。対象に感情移入することなく描くことで生まれた静寂は、モランディにしか表現できない世界です。
ボローニャの薄暗いアトリエで一人対象と向かい合う画家のひたむきな姿が絵の向こうから見えてきます。
セザンヌの静物画
ポスト印象派の果物
誰もが思い浮かべる静物画が ポール・セザンヌの「リンゴとオレンジのある静物画」です。
セザンヌは鮮やかな色彩と対照を多視点からとらえることでポスト印象派として、ピカソを始めとしたキュビズムの新しい世界の扉を開きました。
リアリズムの巨匠
クールべが描く静物画
セザンヌが動乱のパリコミューン (1871)から逃れ地中海の小村に隠遁していた時、リアリズムの巨匠ギュスタブ・クールベは革命の先頭にいました。しかし革命は敗北しクールベは幽閉されます。
失意の底でクールベが描いた静物画は、画家の心の奥底から湧き上がる止めるに止められない気持ちが恐ろしい程の迫力を持って迫ってきます。
絵画、映画、文学、そして再び絵画、フルーツはいつも私たちの傍らにあります。
自然の恵みは甘く、育てる過程は悦びに満ち、美しい姿は精神を救い、ひとたび食卓に並べば微笑みが溢れます。
フルーツライフはフルーツを通して私たちの幸せに満ちた毎日を広げていきます。