月刊フルーツライフ 臨時特集号 |

この先何年かは、世界中の誰もが、あの時、自分はこうしていたというエピソードを持つことができる。それはあたかも14世紀中庸のヨーロッパを恐怖に陥れた黒死病や、20世紀初頭人類史上初めて全ての大陸で猛威を振るったインフルエンザパンデミックの時に生きていた人のように。そして今、私たちは世界史に記されるであろうCovid19パンデミックの真っ只中にいる。
スピルオーバー/Spilloverとは異種間伝播のことをいう。
医師、獣医師など病理学や進化生物学を研究する科学者の間で何度もNBO(Next Big One)の話題が取り沙汰されてきた。つまり百年前のインフルエンザや現在のエイズのようなパンデミックが起こり、数千万人を死に至らしめる毒性と伝染性を持った感染症が再び出現するだろうか?もし出現するとしたら、どんな病気で、どこからやってくるのか?という話題だ。
ほとんどの科学者は、NBOは十中八九起こるであろうと、そして起こるとすればRNAウイルスであり、人獣共通感染症/Zoonosisであると語っていた。中でもコロナウイルス科は、人間の健康への深刻な脅威であり、その理由は進化性が高く、動物集団で流行を引き起こす能力が証明されているからだとしている。
人類の脅威はウイルスである。百年前のインフルエンザパンデミックはわずか二年間で5千万人が犠牲になった。
1908年カメルーン南東部の密林で一頭のチンパンジーと一人の人間との接触から始まったエイズは、コンゴのレオポルドヴィルに到達し、人口の急増と、旅行者の増加につれ、アフリカ全体に、そして世界に拡がっていった。北米にはコンゴに大量に派遣されていたハイチ人がHIVウイルスと共に帰国し、ハイチのポルトープランスからほんの千百キロしか離れていないマイアミには簡単に上陸することができた。そして現在エイズの犠牲者は3千万人に及んでいる。
ズーノーシス/人獣共通感染症は6種類の病原体のいずれかに感染することで引き起こされる。つまり、ウイルス・細菌・真菌・原生生物・プリオン・寄生虫だ。
プリオンは狂牛病を引き起こす異常な折りたたみ構造を持つタンパク質だ。睡眠病はブルーストリパノソーマという原生生物によるもので人間にはツェツェバエによって運ばれる。炭疽病は土中に休眠状態にいた細菌が起こされることによって動物から人間に感染する。トキソカラ症は回虫が原因だ。そして最も厄介なものがウイルスだ。
ウイルスは進化が早く抗生物質が効かない。その上致死率が高く、他の生物や準生物に比べて恐ろしいほど単純で極小だ。現に百年前のインフルエンザパンデミックのウイルスがHINI亜型と同定されたのは実に2005年のことだ。それまで人類はウイルスを見ることも、命名することも、理解することもできなかった。当然ウイルスを分離・培養する技術もなかった。ウイルスを人間の目で確かめることができたのは電子顕微鏡が発明されてからだった。つまり現在に至ってウイルスのことを人類は何一つわかっていないのだ。
パスツールやコッホが確立したものは細菌学だ。二人の天才もウイルスが何であるのかわかっていなかった。
何故ならウイルスは消えてなくなりそうなほど小さく、単純でありながら巧妙で、特異で無駄がなく、むしろ恐ろしいまでに狡猾でさえある。果たしてウイルスが生物かどうか、生命原理機構をショートカットし、寄生し攻撃し回避する。自らの系統を存続させるため増殖し生き残ろうとする。つまりダーウィンのいう自然淘汰の適者生存という原理で進化する。
ウイルスが系統を存続させるためには四つの課題がある。
一つはある宿主から別の宿主への移動、次に宿主の体内でどう細胞に侵入するか、そして細胞にある装置をどう乗っ取って自ら複製するか、最後にどうやって再び外に出るかだ。つまりウイルスは生物というよりタンパク質に包まれた遺伝物質なのだ。
RNAウイルスはDNAウイルスの数千倍の突然変異を起こす。突然変異はほとんどの場合失敗に終わるが、稀により強力なウイルスへと遺伝的多様性を供給することになる。RNAウイルスは地球上のどんな生物より早く進化し、そのため不安定で予測不能で、人類が未だ立ち向かうことのできる相手ではないのである。
天然痘は地球上から根絶されたではないか!ポリオもほぼ撲滅されたではないか!という声が聞こえてくる。確かに天然痘ウイルスは絶滅した。ポリオウイルスも風前の灯だ。しかしエドワード・ジェンナーはウイルスが何であるのかわかっていなかった。時として科学は偶然が大きな成果を生む。
二つのウイルスが地球上から消えかかっている理由は、ウイルスが人間にしか存在しないためだ。つまりスピルオーバーすることがないためだ。天然痘ウイルスは人間以外の宿主に移動する能力をつけることができなかった。進化に失敗し突然変異でスピルオーバーする能力を手にする前に自然淘汰の憂き目にあったのだ。

どうして世界中の科学者はCovid19がどこからやってきたのかを躍起になって探しているのか。それは天然痘ウイルスと違ってズーノーシスウイルスは、仮に人間の体内で存続できなくなったとしても、レゼルボアホスト/保有宿主に存在してさえいればいつでも再び人間を襲うことができるからだ。
致死率が高く恐怖を持って語られるエボラウイルスは伝染性はさほどでもないが感染力が極めて強いウイルスだ。
1976年ザイールで発生したエボラウイルス病は、治療にあたる医師の多くが犠牲になった。ほんのわずかな皮膚の裂け目からでも侵入し、数日後に凄まじい勢いで免疫システムに攻撃をかけ、免疫に不可欠なインターフェロンの産生を停止させることでエボラウイルスの連続複製が止まらなくなる。
しかし恐れられるエボラウイルスはウイルスとしてはさほど成功しているわけではない。何故ならアウトブレイクは単発でザイールからガボン、コンゴ、DRコンゴとアフリカ中部で飛び地のように発生し、ある時何もなかったようにジャングルに消えていく。つまりエボラウイルスのアウトブレイクは単発でパンデミックに至らないのだ。
2003年2月下旬、重症急性呼吸器症候群/SARSは、香港からトロントに向かっていた。SARSをトロントに持ち込んだ女性は間もなく死亡、一週間後には彼女の息子が死亡、治療を行った病院では感染が拡大し瞬く間にトロント市民数百人が感染し、三十一人が犠牲になった。
ウイルスはスピルオーバーの能力を手にし人間に移ることができれば、わずか数週間で世界中に感染を拡げ、人から人に感染させることで大きな成功を手にすることができる。
SARSはコロナウイルスであることがわかったが、何故パンデミックに至らずに抑え込むことができたのか?それはSARSは症状が出て、その後に感染力が高まる。そのため感染力が高まる前に感染者を発見し隔離することができた。これは極めて幸運だった。もしこれが逆であったら、つまり感染力が先にあって、その後に症状が出てきたとしたら。それが今世界中を大混乱に陥れているCOVID19だ。そしてCOVID19こそが、科学者を恐れさせていた次のパンデミックNBOだった。
果たして私たちになす術はないのだろうか?
COVID19の現在の感染者は2億2千万人、死者は460万人余りだ。百年前のインフルエンザパンデミックが終息するには五千万人の人々の生贄が必要だった。そして二年目を境に突然インフルエンザウイルスは消え去った。つまり私たちの運命は偶然と運に任せられているのだ。しかし仮にCOVID19が突然終息したとしても、じきに新たなウイルスの脅威はやってくる。
生態学上アウトブレイクとは単一種の大量で突発的な増加をいう。人類は誕生から20万年を経た十九世紀初めに10億人となった。しかしその後わずか2百年余りで70億人を超えることになる。これは一つの種、しかも大型哺乳類では考えられないような爆発的増加だ。
有史以来、脊椎動物の歴史の中で人類ほど大きな生物種がこれだけの個体数に達したことはなかった。生物学者エドワード・O・ウィルソンは「人類が60億を超えた時、かつて地球上に存在したあらゆる大型動物種の生物量の百倍を上回っていた」と。
人類は桁外れで、前例がなく、脅威的だ。生態学的には、体が大きく長命にもかかわらず異常なまでに数が多い。ほんの少し想像してみればわかるはずだ。セレンゲティのライオンの群れがシマウマやレイヨウよりはるかに多いことが考えられるだろうか?シロナガスクジラがイワシの群れよりも大きな群れを作っていることが考えられるだろうか?ハクトウワシが電線に群れをなしてとまっていることが考えられるだろうか?
つまり私たちがこれからも地球という惑星で生きていくためには、ウイルスのパンデミックに度々襲われ個体数を激減させていくか、それとも私たち人間が環境への影響を劇的に減らしていくことでしか生きていく道はないのではないだろうか。
この百年で未知のズーノーシス/人獣共通感染症ウイルスが爆発的に出現している。エボラ、インフルエンザ、HIV、ニパ、ヘンドラ、SARS、そしてCOVID19。
百年前ウイルスは、中国奥地で、中央アフリカの密林で、アマゾンの熱帯雨林で、レゼルボアホスト/保有宿主の中でひっそりと何十万年も共生していた。そこに突然人間が入り込み、ウイルスの宿主を殺し、木を切り倒し、道を作り、肉牛を放牧した。こうして居場所を奪われたウイルスが、やむなく人間を新たな宿主とすることは種が生き延びる適者生存であり進化の原則である。
19世紀、ヴィーグル号に乗って冒険の旅に出たチャールズ・ダーウィンは人間は特別な存在ではないと語っている。
人類は地球の一部であり全ては生態系の問題なのだ。それはウイルスであろうが、細菌であろうが、植物であろうが、動物であろうが、そして人間であろうが。
人間がどれだけ発展したかのように見えたとしても、私たちの運命は地球という惑星の上にある。つまり私たちは生態系のほんの一部であり、弱くて小さな存在なのだ。そしてそのことを私たち人間は謙虚に受け止めなければこれ以上生存しつづけていくことはできないのかも知れない。
チャールズ・ダーウィンは「種の起源」をこう結んでいる。
「人間は偉大な創造物のなかのささやかな存在にすぎないのに、何故それ以上の価値を自分自身に置くのだろうか。
地球上のすべての生き物は存在する権利を持ち、この権利はいかなる生き物にも斉しいものである。」
